富貴の人に近づこうとしないのは潔癖ではある。だが、近づきながらもその節操を曲げないことこそ、本当に潔癖であることだ。
　手練手管など知らないというのは高潔である。だが、それを知っていながら、しかも用いようとしないことこそ､本当に高潔であることなのだ。

　激しい雨風の日には、鳥たちでさえ、おどおどして悲しげだ。輝く太陽を受ければ草木さえ喜ばしげではないか。
　してみれば、自然にもまた社会にも､一日として欠かせぬもの・・・それは、よろこびの心だ。

　深夜の静寂の中で、独りわが心を見つめるとき、はじめて自分を追いつめることができ、自分の本当の心が現われてくる。
　だが、本心に目覚めれば目覚めるほど、迷いから抜けきれぬ自分を発見して､自分を恥じる心は深まるばかりだ。

　災難や失敗は得意の絶頂の時にやってくる。万事調子のよいときにこそ､気持ちを引き締めて、難をまぬがれるようにしよう。
　物事が好転してくるのは、失意のドン底のなかからだ。うまくいかないからといって、やりかけの仕事を投げ出してはならない。

　この世に生きているうちは､心をひろく持って、すべての人に公平に接したい。
　この世を去った後までも、長く残るほどの貢献をして、後世の人々を満足させたい。

　せまい道では、一歩立ち止まって後から来た人を先にやり、美味を前にしたら､三分は手をつけずに人に食べさせてやる。
　この心掛けこそ、社会を安楽に生きていく道だ。

　侠気を持たないものには友との交わりはできない。純粋な気持ちをすっかり失っては人としての成長は望めない。

　まことの仏はありふれた家の中にいるし、まことの道は日ごろの暮らしの中にあるのだ。
　一家中が、誠実に、平和に、表情も穏やかに、心をひとつにとけ合わせて暮らしていくことができるのならば、その功徳は、むずかしい座禅の工夫をするより数万倍も勝るといえよう。

　社会生活においては、無理に功績をあげようとつとめることはない。失敗を犯さなければ、それが立派な功績ではないか。
　対人関係においては、しいて恩を施して感謝されようとつとめることはない。人から怨みを受けずにすめば、それこそ、人に感謝されることなのだ。

　心を砕いて努力するのは結構だ。だが、あまりに苦しむばかりでは、生きている甲斐がないではないか。
　淡泊な気風はよいものだ。だが、あまりに枯れすぎては、世のため、人のための役には立つまい。

　活動が行きづまり、手も足も出なくなったときには、出発点の心境を思いおこそう。出発点からして間違っていたのか、中途で初心を忘れてしまったのか。
　事業が成功し、なすべきことをなしつくしたときには、わが行く末を考えよう。人生は退き際が大切、成功に気をよくして、最後に醜態をさらすまい。

　富貴の家に育った人は、寛大で暖かい心がなければならないのに、実際には疑い深くて不人情なものだ。これは身は富貴でありながら心が貧しく卑しいためだ。これでは長く天の恵みを受けることはできない。
　才能に恵まれた人は、当然、それを深くかくすべきものなのに、実際には得意になって才能をひけらかすものだ。これではいかに才能があろうとも、分別のない愚者と同様だ。いつかは失敗するにちがいない。

　利益を求める心は、さして人の本心を傷つけるものではない。それよりももっと恐ろしいのは偏見にこりかたまることだ。
　愛欲の心は、それほど人の成長をさまたげるものではない。それよりももっと有害なのは知ったかぶりの独善だ。

　人の心は変わりやすく、世渡りの道は曲がりくねっている。
　無事に世を渡ろうとすれば、容易に通れぬ小道では、自分は待って人を先にやり、らくに通れるところでも、三分はあけて人にゆずるの心がけが大切だ。

　利口ぶるのはやめて、無骨な率直さを守り、自分の本心を見きわめて、これを伸び伸びと発展させよう。
　華美なくらしには背を向けて、さっぱりとした境界に安んじ、そのすがすがしい生涯を長く天地にとどめよう。

　まず、自らの心にうち勝とう。そうすれば、どんな誘惑でも退散させることができる。まず、みずからの心を平静にしよう。そうすれば、どんな妨害をもはねつけることができる。

　手近に望みがかなうからといって、つまらぬ欲望にふけるのはやめよ。一度、その味を覚えると、深みにはまるばかりだ。
　困難だからといって正義を行うのをためらっていてはならぬ。一度、後退してしまうと､際限なくなるものだ。

　富貴には「仁」で対抗し、権勢には「義」で立ち向かおう。あくまで一個の独立した人格を守り通し、支配者の思うにまかせてはならぬ。
　人間の意志の力は何よりも強いのだ。たとえ天地の神であろうとも、これを勝手に左右することはできない。

　教養を身につける点では人よりも常に一歩先んぜよ。さもなければゴミのなかで着物をはらい。泥水で足を洗うのと同じだ。とうてい人格の向上は望めない。
　社会生活では足どりは慎重にして、人よりも一歩おくれるくらいにせよ。さもなければ灯にとびこむ蛾や、垣根に角をひっかけた牡羊のように、暴走しては失敗し、たえず苦労を続けるだろう。

　学問をするからには､精神を集中して､その第一義的な目標を追求していかなければならない。
　修養を目的としていながら、一方で功名や手柄に心をひかれるようでは成果はあがらない。また、教養を身につけても、それを風流ごとにばかり発揮していては、上っ面の理解に終わってしまう。

　慈悲の心は万人のものだ。維摩（ゆいま）菩薩であろうと、卑しい屠殺人であろうと、その本性には変わりはない。
　それと同じように人生の楽しみはいたるところにみちている。宮殿に住もうと、あばら屋にいようと、すべての場所が浄土である。だが、欲望や感情にとらわれていては、目の前がふさがって真実が見えず、手のとどくところにあるものも、はるかかなたにあると思いこんでしまうのだ。

　善人は毎日の生活ぶりがおだやかなことはいうまでもないが、夢の中でさえ、安らかな気持ちにみたされている。
　悪人はすることなすこと残虐非道なのはいうまでもないが、その言葉つきや笑い声さえも、すごみにあふれておそろしいものだ。

　肝臓に故障がおきれば目が見えなくなり、腎臓を冒されれば耳が聞こえなくなる。病気はまず人の目のとどかぬところに生じて、その影響が表面にあらわれるのだ。
　人前に恥をさらしたくなければ、人の目のとどかぬところで過ちをおかさぬこと。それが君子の心得である。

　幸福といえば、わずらわしい出来事が少ないことにまさる幸福はない。不幸といえば、欲望が多いことにまさる不幸はない。
　いろいろな事で苦労したあげくに、面倒が少ないことの幸福をさとる。心を平穏にすることができて、ようやく欲望が多いことの不幸をさとる。

　正しい秩序の確立した時代には、姿勢を正して生きよ。秩序が乱れた時代には、めだたぬように生きよ。行き詰まった時代には、自分の理想を守りながらも、協調する心掛けを忘れるな。
　善人に接するときは、これを信じて寛大にあつかえ。悪人に接するときには、これに心を許さず、きびしくあつかえ。なみの人間に接するときは、たとえ信用はしても警戒心を忘れるな。

　自分が人のために尽くしたことは、心にとどめておく必要はない。だが、迷惑をかけたことは、いつまでも記憶にとどめておこう。
　人から受けた恩は忘れるな。人に対する怨みは、きれいに忘れてしまうことだ。

　人のおかれている条件はさまざまだが、あらゆる面で恵まれている場合は見あたらないものだ。自分一人だけが、あらゆる面で恵まれたいとねがっても、かなうものではない。
　この現実を忘れないで、自他の関係をコントロールしていくことも、一つの手段方法である。

　心中が清らかであれば､大いに昔の本を読むがいい。
　もしそうでないものが書物を読むと、昔の人のすぐれた行動を、自分が利欲をとげるための参考としたり、りっぱな言葉を、自分の欠陥をとりつくろう口実にしたりするものだ。これでは侵略者に武器を与え、盗賊に食料を与えるのと変わりない。

　書物を読んでも、聖賢の精神にふれなければ、文字のドレイにすぎない。
　高位高官の座についても、人民に愛情を注がなければ､官服に身をかざった禄盗人にすぎない。
　学問を論じても実践がともなわなければ、口先だけの修行にすぎない。
　事業をおこしても、それによって人々の利益をはかろうとしなければ、つかの間の栄華にふけるだけだ。

　すべての人の心の底には､必ず真の文章、生まれながらの理性が備わっている。だが、多くの場合その理性は、ガラクタのような知識におおわれて､その真価を発揮していない。
　すべての人の心の底には、真実の音楽、すなわち天から授かった感性が備わっている。だが、その感性も、大抵はあやしげな芸術によって曇らされ、輝きを失っている。
　道を学ぼうとする者は、まず心中に入りこんだ夾雑物を一掃することによって、埋もれていたみずからの理性と感性とを掘り起こし、それを活用していかなければならない。

　苦労のなかにこそ、まことの喜びがある。調子がよいと思っていると、いつか失意の悲しみを味わわされる。

　すぐれた人格によって得た地位名誉は山野に咲く花。放っておいても伸び伸びと育つ。
　功績によって得た地位名誉は鉢植えの花。ご主人の気持ち次第で植えかえられたり、捨てられたり。
　権力にとり入って得た地位名誉は花瓶にさした花。見ているうちに、たちまちしおれる。

　道を学ぶには、一面では慎重を事としなければならないが、また一面では、さらりとして淡泊な気風をもつことが大切である。
　つねに緊張と潔癖の一点張りで通すのは気候にたとえれば晩秋の霜のようなものだ。道をひろめていくためには、春風のような和やかな雰囲気が、どうしても必要なのである。

　ほんとうに潔癖な人というものは、そのような評判をたてられることもない。しきりと評判になる人は、実は名誉欲の強い人なのである。
　最高のわざを身につけた人は、小手先細工はしない。小手先細工をつかうような人は、実はわざを身につけていない未熟者なのである。

　水を満たせば倒れる器、銭でいっぱいになればわられる貯金玉。人生とはこうしたものだ。
　無の境地に身をおき､不完全な状態に甘んじていることが、君子として最も安全な道である。

　心さえ澄みわたっていれば、暗黒の場所にいても光明に包まれ、良心を失うことはない。心が曇っていれば、光明の中にいても悪魔の誘惑に本心を奪われてしまう。

　人々は地位や名誉を得ることが幸福だと思いこんで、名利を離れる楽しみこそが最高のものであることに気づかない。
　人々は貧しさによる飢えや寒さを最大の不幸だと思いこんで、飢えもせず、凍えもしない富貴の人こそが最も深刻に悩んでいることを知らない。

　悪事を働いても、それが露見するのを恐れているようならば、悪人とはいえ、まだ一片の良心を抱いているものだ。
　善行を積んでも、それがいち早く評判になればよいと願うようでは、善いことをしたとはいえ、悪の道に落ちる要素が感じられる。

　運命のいたずらは、これを予測することもできない。しばりつけるかと思えば自由にし、自由にしたかと思えばおさえつける。その前にあっては、英雄もふりまわされ､豪傑もつまずいてしまう。
　だが、道を体得した者だけは、運命に従順に従いながら、平穏なときにも有事の際に備えている。これには運命の神も手の下しようがない。

　せっかちなのは火の性分だ。何ものをも焼きつくして元も子もなくしてしまう。
　不人情で冷酷なのは氷の性分だ。誰の心をも寒々とさせ、元気を失わせてしまう。
　強情なのは溜り水か朽木の性分だ。いきいきとした自由さが少しもない。
　この三者は、いずれも有意義な仕事をしていくことはできない。

　幸福を無理に引き寄せることはできない。喜びの心を育て、自分の周囲を和気あいあいとすることが、幸福をまねく道である。
　不幸から身をさけることはできない。人を傷つけるような心を捨てて､不幸をまねく原因を取りのぞくよりほかに方法はない。

　気候が温暖であれば万物が成長し、寒冷となれば枯死してしまう。
　万事に冷淡な人間は幸運に恵まれることも少ない。幸運に恵まれて、長くその喜びを受けるのは、必ず心が穏やかで、愛情ゆたかな人物である。

　真理の道は広々としている。ここを進む者は心の中までも広々と晴れやかである。
　我欲の道はせまくるしい限りだ。ここに迷いこんだ者は、目にふれるのは藪とぬかぬみ、足をとられて苦しむばかりだ。

　あるときは喜び、あるときは苦しむ修行をしつくした上で得た幸福であれば、永久にわがものとすることができる。あるいは疑い、あるいは信じる真理探求の苦難を経てつかんだ確信であれば、それこそ真実のものといえよう。

　人の心に雑念がなければ、理性と勇気がそこに育つ。人の心が理想にあふれていれば、欲望がつけ入るすきはない。

　ゴミ土の上には作物が茂るが、住みきった水には魚も住まない。
　汚いものをも平気で受け入れる度量があってこそ大人物だ。自分だけで潔白ぶり、小さなカラに閉じこもることをやめよう。

　暴れ馬も調教次第では乗りこなせる。鋳型からとび出した金も、やがては型におさまる。一見、手におえぬような人物が、案外とものの役にたつものだ。
　これに反して、のんべんだらりと日を送り、いっこうに発奮しない人物は、一生かかっても少しも進歩することはない。
　白沙先生も言っておられる。
「人として迷いが多いのを恥じることはない。もし、何の迷いもないというのなら、それこそ困ったものである。」

　はげしい欲望が生じれば、強い意志も骨抜きとなり、澄んだ理性は曇り､愛情は残酷に変り、潔癖が恥知らずとなり、人格のすべてが台なしとなってしまう。
　それだから古人は「無欲こそ宝」といったのだ。この一言こそ、世の汚れから超越する道である。

　さまざまな外界の刺激は、外からわが心中をうかがう賊。胸中におこる雑念は心中に生じた賊。
　だが、何物にも動かされぬ本心がわたしの心を支配しているかぎり、内外の賊もその家来となり、修養の手だすけをしてくれるだろう。

　まだ目鼻のつかぬ計画に没頭するよりは、すでに手をつけた仕事をやりとおせ。悔いる
過去の失敗をより、将来の誤ちを防ごう。

　理想は高く持とう。しかし現実を無視するな。思考は綿密にしよう。しかし些末なことにこだわるな。趣味は淡泊にしよう。しかし浮世離れが過ぎてはならない。節操はきびしく守ろう。しかし過激には走るまい。

　潔癖ではあるが包容力がある。人情がこまやかだが決断力がある。聡明ではあるがあらさがしはせず、一本気ではあるが無鉄砲ではない・・・。
　こうした人物は「蜜は使っても甘すぎず、塩味をつけてもからすぎず」のたとえにぴったりしている。まず理想の人格といえよう。

　あばら屋の庭も掃き清められ、貧しい娘も髪をきちんととかしていれば、つつましいうちにも趣があるもの。
　人として、たとえ恵まれぬときがあろうとも､ヤケを起こしてじだらくになりたくはないものだ。

　ひまだからといって無駄に日を送ることがなければ、その効用が忙しいときに現われてくる。
　何事もないときに、ぼんやりしていなければ、その効用は活動するときに現われてくる。
　人目の届かぬところで良心を偽らなければ、その効用は公の場に現われてくる。

　自分の気持ちが私利私欲に動かされそうだと気づいたならば、すぐにそれを反省して、正しい道に引きもどそう。
　心の迷いにすぐ気づき、気づいたならばすぐ改めようと心がけることこそ、禍を福に、死を生に転化させるカギである。決してこれを軽く見て放置してはならない。

　心が静かなときには知性が澄み切っているから、自分の心の実態をよく認識することができる。また、心がゆったりしているときには感情が落ちついているから､自分の心の動きをよく観察することができる。そして、心が淡々としているときには、情緒が安定しているから、真の心の喜びを味わうことができる。
　自分の心を認識し、真理の正しさを証明するためには、この三つの方法をとるのが最もよろしい。

　環境を動かして、ようやく心の静けさを保つというようでは､ほんとうに心が静かとはいえぬ。活発な活動のなかにあって、なお心の静けさを保ってこそ、道を体得した者といえよう。
　周囲がすべて楽しいことばかりとなって、ようやく心を楽しませるというのでは､ほんとうの楽しさとはいえぬ。苦労のうちに楽しみを見出してこそ、わが心の不思議な働きを生かした者といえよう。

　もし天がわたしを冷遇して幸福を与えようとしないのなら、わたしは自分の人格をみがくことによって幸福をかちとろう。
　もし天がわたしの肉体を酷使して苦しめるならば、わたしは心の平安によってその苦痛を免れるだろう。
　もし天が障害を設けてわたしを妨げるならば、わたしは真理の力によって、これを通りぬけて見せよう。
　天といえども、このわたしをどうすることもできまい。

　節操のかたい人物は、ことさらに幸運を求めようとはしないが、天はかえってその心を見こんで幸運をさずけて、天の意志をあきらかにする。
　陰険な人物は不幸を免れることばかり考えているが、天はかえってその心を憎んで不幸をもたらし、精神に衝撃を与える。
　このように天の機能はまことに不可思議である。人間が浅知恵を働かせても、どうすることもできないのだ。

　かっての芸妓も晩年に身を固め、よき妻となったならば、若いころの浮いた暮らしは何の恥にもならない。貞操を守り通してきても白髪が生えてからよろめけば、それまでの苦労は水の泡となってしまう。
「人の値うちは人生の後半できまる」という言葉は、まことにもっともだ。

　人格をみがき、社会への奉仕を積めば、たとえ地位はなかろうとも、王侯貴族にまさる人だ。
　権威をかさにきたり、恩恵で人の心を買おうとするならば、たとえ高位高官にあっても、乞食同然の人だ。

　祖先の恩とはなんであろうか。現在の自分の幸福、それはすべて祖先が遺してくれたものだ。自分の幸福は､祖先の長い年月の苦労によってもたらされたことを思い、深く感謝しよう。
　子孫の幸福とは何であろうか。それは私たち自身が築き上げて、後世に伝えなければならないものだ。もしわたしたちの努力が不十分であれば､恩恵を後世に伝えることはきわめてむずかしい。

　身内の失敗に対しては、あらあらしく叱りつけてはならないし、また軽視して放っておくのもよくない。もし、言いにくければ他のことにかこつけて反省をうながすがよい。一度で理解できなければ、また別の機会に注意せよ。
　春風が氷をとかすように、自然に、おだやかに教育をするのが、身うちに対する望ましい態度である。

　自分の心をよく反省し、つねに平静を保っておけば、全世界はすべて満ち足り、何の不平も感じることもないであろう。自分の心を自由にして、つねにひろびろとさせておけば、全社会からとげとげしい心は消え去ってしまうだろう。

　さっぱりした気性の人は、しつこい人からは煙たがられる。万事きちんとした人は､だらしのない人からはいやがられる。
　志を捨ててはならないが、それを余りにむきだしにしては、世渡りがむずかしくなってしまう。

　困難に苦しんでいるときは、身のまわりはすべて良薬ばかりだ。志も行いも、知らぬまにみがかれていく。
　万事がうまくいく境遇にあるときは、物騒な凶器があたり一面からせまってきているのに、五体を切り刻まれても、まだ気づかないものだ。

　富貴の家でわがままに育てば、欲望を追うはげしさは火のようであるし、権力に対する執着は炎のようだ。
　少しは頭を冷やして、淡泊な気風を身につけておかないと、そのはげしさによって人を傷つけるか、さもなければ自分自身を焼きつくしてしまうだろう。

　人間のまごころは､夏の空に霜をふらし、堅固な城を崩し、金石を貫くほどの力をもっているものだ。
　これに反して､自分の心をいつわり､誠実さを失った人物は、その肉体は存在していても、精神はとっくに亡びてしまっている。このような人物は誰からも嫌われるだけでなく、自分一人になっても自己嫌悪に苦しむだろう。

　最高に完成された文章は､一向に奇抜なところがない。いおうとすることをピタリといいあてているだけだ。
　最高の境地にまで達した人物は､少しも変ったところがない。ただ、ありのままに生きているだけだ。

　この､まぼろしの世にについていえば、功名や富貴はもちろんのことわれわれの肉体さえも夢のまの仮の姿に過ぎない。絶対の実在という点から見れば、父母兄弟はもとより、世界の万物さえも、すべて自分と一体のものなのだ。
　この道理を会得した者だけが、全世界に対する自己の責任を自覚し、同時に、一切の束縛から解放された自由を味わうことができるのである。

　他人に対しては、小さな過失を責めない。個人的な秘密はそっとしておく。その古傷は忘れてやる。この三つの心がけは、自分の人格の向上に役立つばかりでなく､人の怨みを避け、一身を保つ道でもある。

　天地は永遠に存在するが、この身は再び得られない。人の一生は長くとも百年、たちまちのうちに過ぎ去ってしまう。
　そのことを思うとき、この人生を楽しく生きていきたいという願いと、無意味に過ごしているのではないかという不安とをともに抱かずにはいられない。

　一人を喜ばせれば、他の人の怨みをいだく。人を喜ばせるより、感謝も怨みも、ともに忘れてもらうのがいちばんだ。
　一人の利益をはかれば、他の人は被害を受けたと感じる。人の感謝を期待するより、恩も仇も水に流してもらうのが最もよい。

　歳をとってから出てくる病気は、元気なころの不摂生のむくいだ。落ち目になってからのつまづきは、羽振りがよかったころに原因がある。
　だから君子は、絶頂のとき、満ちたりたときにこそ、最も慎重に振舞うのだ。

　利益を求めて人に恩を売るよりは、正々堂々とした意見に味方しよう。新しい人とむやみに交際するより、昔からの友人を大切にしよう。派手な売名をするより、目だたぬ貢献を心がけよう。
風変わりな言動で世間を驚かせるより､人間としての当然の道をつくそう。

　誰の目から見ても正当な意見に対しては、私情によって反対してはならない。いったんそのようなことをすれば、後々までの恥辱となる。
　権力をほしいままにし、私利を営む者に近づいてはならない。そのような者と交われば一生の汚点となる。

　自分の信念を曲げて人を喜ばせるよりは、たとえ人から煙たがられても信念を貫きとおしたほうがましだ。
　なんらの功績がないのに賞められるよりは、むしろ身におぼえのないことで、人から非難されるほうが気持ちがよい。

　些細なことだからといって手抜かりをしない。人が見ていないからといって罪を犯さない。不遇な状況におかれても投げやりにならない。
　これだけのことができれば、それでもう立派な人物だ。

　目新しく風変わりなことにばかり興味をもつのは、スケールが小さい証拠だ。また自分一人だけが浮きあがって悪戦苦闘しても､決して長続きはしない。

　怒りが爆発し、欲望が流れ出そうとするとき、わが心のなかには、そのような自分をふりかえる心、そのような自分に反発する心が必ず生じているものだ。
　この心を生かして、感情や欲望を正しい方向に昇華するならば、邪念は一変して、自分を支配する真の君主となることだろう。

　一部の意見を鵜呑みにして腹黒い者のペテンにかかるな。自信にまかせて大役を引きうけ、それに追われて主体性を失うな。自分の長所をふりかざして、人の弱点をあばくな。自分が無能だからといって、人の才能に反感を抱くな。

　人に欠陥があれば十分な思いやりをもってとりつくろってやろう。もし欠陥をあばき立て、責めたてるようでは､欠陥だらけの心で欠陥を非難するのだから､とうてい相手を改めさせることはできない。
　頑固で道理のわからぬ人に対しては､辛抱づよく説得して理解させよう。もし、こちらがかんしゃくを起こし、腹を立ててしまうならば､頑固者が頑固者を説得するのだから、とうてい相手に理解させることはできない。

　気持ちがめいって、混乱してしまったときには、先ず自分の本心にたちかえって、自らの使命を自覚することが大切だ。
　心が緊張しすぎて､余裕を失ったときには、ものごとに執着しない悠々たる心境にかえることが必要だ。
　そうしなければ、せっかく、めいった気持ちをなおすことができても､今度は意欲だけが先走って、コントロールができなくなる。

　晴れやかな青空に、たちまち黒雲がひろがり、雷鳴がとどろくことがある。はげしい風雨がたちまちやんで、夜空を明月が照らすことがある。
　自然の表情はたえず変化してやまないが､それは少しもあとに尾を引くことはなく、まことにさっぱりとしたものだ。
　人の心の動きも、ぜひこのようにありたいものである。

　私情にうちかち､欲望をおさえるためには、まずそれをいち早く自覚しなければ容易ではないという説がある。
　また、たとえそれを自覚することができても､意志が弱くては負けてしまうという説もある。
　思うに、自己の心を自覚する能力は、悪魔を発見する宝珠であり、欲情を克服する意志は悪魔を切ってすてる名剣であろう。この両者は、ともになくてはならないものだ。

　災難や苦労は、人格を完成させるための溶鉱炉のようなものだ。このなかにあって十分にきたえられた人は心身ともに強健である。
　この鍛錬を受けたことのない人は、心身ともにひよわで、ものの役にはたたない。

　わが身心はそのまま一つの小宇宙であり、天地の法則がすべてそのなかに生きている。喜怒の感情、好悪の感覚が円満正常に働いていれば、天地が自然の調和をもって運行しているのと同様に、わが身心も平安である。
　このまま一つの大家族である。天地は父母、その子供たちである人民がすべて勝手に振舞わず、万物がすべて調和を保って存在すれば、これこそ理想の世界であるといえよう。

　「人に害を加えようとの心を抱いてはならないが、人から害を受けないようにする心がけだけは必要だ」ということばがある。これは不用意のために災厄をうけることをいましめたものである。
　また、「人からペテンにかけられたほうが、ペテンではないかと人を疑うよりはましだ」ということばがある。これは、余りにも人を信じようとしない態度をいましめたものである。
　この二つの教訓を統一して身につけることができれば、判断は正確となり､感情は円満となることができるだろう。

　人々が信じてくれないからといって､そのために自分の意見をまげてはならない。自分の小さな感情から、人の意見を無視してはならない。つまらぬ打算のために、全体の利益を傷つけてはならない。個人的な感情をはらすために、世論の力をかりてはならない。

　父が子をいつくしみ､子が父に孝養をつくす。兄が弟をいたわり、弟が兄を敬う・・・。これは人間として、まったく自然の情愛であり､どれほど完全に行われようとも､当然至極のことである。ことさらに感心すべきことではない。
　もし、愛するものが施しをしたように思い､受けたものが義理を感じるようであれば、これはすでに他人同士のつきあいであり、商人の取引と少しも変らない。

　美しさと醜さとは、常に表裏をなしている。もしわたしが美しさを鼻にかけなければ、誰もわたしのなかにある醜さを指摘することもあるまい。
　清潔さは、絶えず汚濁によっておびやかされている。わたしが清潔さにとらわれていなければ誰もわたしを汚すことはできないはずだ。

　愛と憎しみの感情の変化は、富貴の者のほうが､貧しい者よりもはるかにはげしい。妬み嫌う心は、肉親同士のほうが、赤の他人の場合より、よほど極端だ。
　このような場合には、何ものにも動かされぬ冷静な心をもって、自分の感情をコントロールしないことには、毎日毎日を悩みと苦しみのただなかで暮らさなければならないだろう。

　部下に対しては、その功績と過失とをあいまいにしてはならない。もし、それをあいまいにするならば、部下の心はだらけてしまうだろう。
　しかしながら、個人的な利害を受けたことによって部下を差別してはならない。もし差別をつけるならば、部下の心は離れ、反抗するようになるだろう。

　悪はそれ自体が陰性であり、善はそれ自体が陽性である。したがっておもてに表われた悪事は、害が浅く、おもてに表われない悪事こそ、害が深いのだ。反対に､善行の場合、おもてに表われた善行は、それほどのことはなく、陰に隠れているものこそ､偉大な善行なのだ。

　人格は主人､才能は召使い。才能ばかりあって人格が備わっていなければ、主人のいないまに召使いが勝手にふるまうのと同じこととなる。その人の心は百鬼夜行、果てもなく乱れるのもむりはあるまい。

　悪党や野心家を一掃するためには、一筋の逃げ道だけは用意しておいたほうがよい。もし、どこにも逃げ場がないとなると、彼らはちょうど袋のネズミのような状況となり、苦しまぎれに大切なものまでもかじりつくしてしまうからだ。

　失敗の責任は自分もとろう。しかし功績をあげた栄誉の仲間には入るな。功績を共有するのは仲たがいのもとだ。
　苦労は人とともにしよう。しかし楽しみごとは人に譲ってしまうのがよい。楽しみごとを共有すれば、ついには憎み合うようになる。

　紳士たるもの、たとえ貧乏で人を物質面で救うことはできなくとも、迷い悩んでいる人に正しい道理を説いて目をさまさせ､危難に苦しんでいる人に適切な助言をして、そこから脱け出させることができれば、それこそ最大の社会奉仕をしたこととなる。

　腹がへったときにはまつわりつき、満腹すればさっさと立ち去る。こちらが裕福なときにはせっせとやってくるが、落ちぶれてしまえば見向きもしない・・・・・・。
　これが人情の常だ。

　眼をぬぐって冷静に現実を視よ。
　腹をすえて冷静に現実に対処せよ。

　人の品性は包容力が大きくなるにつれて向上する。包容力は認識が深まるにつれて大きくなる。
　したがって、品性を向上させようとするならば、包容力を大きくすること､包容力を大きくしようとするならば認識を深めていくことだ。

　灯火が一つ､かすかにまたたき、万物の声も静まる深夜､わたしの心も、はじめて安らぎを得る。
　暁の夢からさめて、万物の動きがまだ生じないとき、わたしの心もようやく夢うつつの境地を出ようとする。
　一切の雑念が消えたこのようなとき､精神を集中しつくし、わが心をもってわが心を照らすならば、すべての感覚はわが身をしばる手かせ、足かせであり、すべての愛情や物欲はわが身をあやつるからくりに過ぎないことを悟るのだ。

　みずから反省する人にとっては、すべての出来事は、みなその人の徳を養う薬となる。
　すべての責任を他に押しつける人は、心を動かすごとに、みずからを傷つける。
　前者は事にふれては善行の端緒をつくり、後者はあらゆる場面で悪事の原因をふやす。
　この違いは天と地よりも甚だしい。

　功績や教養は､その肉体とともに消え去ってしまうが､人の精神は永遠に新しく生きつづける。栄誉や富は、世の移り変わりとともに価値を失うが、人の節操は千年を経ても依然として貴い。
　その故にこそ､君子は一時のもののために永遠のものを捨てようとはしないのである。

　魚を捕まえるつもりの網に、白鳥がかかることがある。餌食をむさぼっているカマキリの後を、スズメがねらうことがある。
　この社会は複雑怪奇、トリックのなかに､またトリックがかくされ､異変の外に、また異変が起こるというありさまだ。人間の浅はかな知恵や術策では、どうにもできるものではない。

　人格の完成をめざすなら、真剣で誠実な心を失うな。それがなければ乞食同然で、何をしても嘘になってしまう。
　世間を渡るなら、円滑な人間関係をつくるよう心がけよ。それがなければデクノボウ同然で、至るところで人とぶつかってしまう。

　水は波さえ立たなければ自然と静まり、鏡はくもりさえしなければ自然と明らかになる。
　人の心も、無理に清くしようとしても、できるものではない。心を濁らす雑念を去れば自然と澄みわたってくるものだ。心の楽しみも追い求めては得られない。心を苦しめる執着さえなくなれば、自然と楽しい境地となる。

　わずかな邪念が神の怒りを招き、軽率な一言が社会の平和をおびやかし、たった一度の誤った行為が長く子孫まで及ぶ災難の原因となることがある。くれぐれも慎重に生きるにこしたことはない。

　あまりせっかちに事実を知ろうとしても、かえってはっきりしないことがある。そうした場合には、むしろゆっくりとかまえていたほうが、自然と真相がわかってくるものだ。のべつにせきたてて、相手を怒らせてしまってはならない。
　人を使おうとしても、なかなか使いこなせないことがある。そうした場合には、むしろ相手を自由にしておけば、自然とこちらの思うように変ってくるのだ。むりに操縦しようとして、余計片意地にさせてはならない。

　人格こそ事業の基礎だ。基礎がぐらぐらしていて、建物が堅固であったためしはない。

　人の精神は子孫の繁栄の根である。根が発達していなければ、枝葉が茂るはずはない。

　「富んだわが家をうち捨てて、鉢をかかえて物もらい」。「成金の自慢はもうたくさん！誰も飯には事欠かぬ」と昔の人がいっている。
　一つは自信がなさすぎる物をはげます言葉であるし、一つは自信の過剰をいましめる言葉であって、いずれも学問を志すものにとって心すべきことである。

　道徳はすべての人の歩むべき道、わけへだてなしに案内しよう。学問は三度の食事と同じこと、何をするときにもその実践を忘れるまい。

　寛大であたたかい心の持ち主は、春風が万物を育てるように、すべてのものを発展させる。疑い深く冷酷な心の持ち主は、真冬の雪が万物を凍りつかせるように、すべてのものを亡ばしてしまう。

　善業を積んでも成果が目に見えぬことがある。だが、草むらにかくれた瓜のように、それはどこかで育っていく。
　悪事を働いて得たものを失わずにすむことがある。だが、庭先の雪のように、それはたちまち消えてしまう。

　「勤」ということばは本来道徳の実践にはげむことであるのに、世間では生活のためにせっせと働く意味に解している。また、「倹」ということばは、本来金銭欲がうすいことであるのに、世間ではこれを逆用して、物惜しみをする意味に解している。
　君子がわが身を正すための心得が、小人の私欲の口実にされているのは、まことに残念だ。

　感情の高ぶりにまかせて、事をはじめようとすれば、感情が静まるにつれて、関心がすぐに冷めてしまう。これでは、限りない前進など、とうてい望めない。
　そのときの気分で安易な悟りを開いてしまえば、気分次第であるいは悟り、あるいは迷う。これでは永遠の悟りなど、とうてい得られるものではない。

　俗臭をなくしさえすれば、それだけでもはや非凡である。むりに非凡を気どろうとすれば、いや味たっぷりな変人になってしまう。
　世間の汚れに染まらなければ、それでこそ清廉といえる。世間から離れて清廉になろうとすれば、一人ぼっちのひねくれ者に終る。

　恩恵を与えるには、最初はわずかで、次第に手厚くするのがよい。はじめは手厚くして、後にわずかにすれば、人は手厚くしてもらったことさえ忘れて不満に思う。
　威厳を示すには、最初はきびしくして、次第にゆるめていくのがよい。はじめはルーズにしておいて、後からきびしくすれば、人は不当にむごく扱われたと感じて怨みを抱く。

　雑念を去ることによって、真の自己を見出すことができる。雑念をそのままにしておいて、自己の真の姿を見ようとするのは、水にうつった月をとろうとして、水面をかきまわすのにひとしい。
　願望が潔白であれば、心中もまた清潔である。自らの願望を高潔にせずに心中だけを美しくしようとするのは、鏡をくもらせておきながら、その鏡でものを映そうとするようなものだ。

　高い身分になればなにかとかつぎ出される。だが人々がかつぎだすのは、一個の人格ではなくて、わたしが身につけている冠や礼服だ。賎しい身分になれば人からバカにされる。だが人々がバカにするのは、一個の人格ではなくて、わたしが身につけているボロやわら沓だ。
　どちらにせよ、わたしの人格とは関係ないこと、かつぎ出されようと、バカにされようと、うれしくもなければ、腹もたたぬ。

　「ネズミのために飯を残し、蛾をあわれんで灯をつけぬ」という句があるが、昔の人がいったこの心がけこそは、すべての生命あるものをはぐくんでいく出発点だ。
　この心を持たない人があれば、それこそ木石同然であって、何の値打ちもない、たんなるぬけがらに過ぎない。

　人間の心と、宇宙の精神とは本来一つのものである。喜びの心は星や雲、怒りの心は雷鳴や豪雨、愛の心はそよ風や甘露、きびしい心は炎天や霜に通じる。人の心のなかには宇宙の諸現象がすべて生じるのだ。
　それが生じるときも、消えるときも､少しもわだかまりを残すことがなければ、その人の心は偉大な宇宙の精神と一致しているといえよう。

　何事もないときには、とかく心がだらけて、知恵もくもりがちだ。そういうときには心をおちつけるとともに、はっきりとめざめさせておくくふうが大切だ。
　忙しさに追われるときには、心があせって、先走りがちだ。こういうときには、心をはっきりめざめさせるとともに、よくおちつけておく必要がある。

　ものごとを討論するときには、客観的な立場から、当事者たちの利害得失を十分に考慮することが望ましい。
　ものごとの処理にあたるときには、実践の先頭に立ち、その結果として自分にかかってくる利害得失は念頭におかないのが本当だ。

　主義をふりまわせば、つまずいたときには、その主義の名で非難される。
　道徳を看板にしていれば、過ちをおかしたときには、その道徳の名で責められる。
　君子の生き方としては、悪いこともせぬかわり、善行で名を売ろうともせず、心の平安だけを守っていくのがいちばんなのである。

　一点の慈愛のこころによって、天地の間をあたたかい和気で満たすことができる。一片の清潔な心によって、百代の後までも人の心を清らかにすることができる。

　人を驚かせる計画や行動、奇妙な習慣や技能などは、すべて世をわたる上での災難の原因となる。至極あたりまえの道徳を守って生きることにより、人間本来のよさが現われ、世界の平和が実現するのだ。

　「山では坂道に耐えて登り、雪のなかでは危ない橋に耐えて進む」ということわざがある。この「耐える」ということが大切だ。
　人の感情は坂道だらけ、世間は至るところ悪路である。「耐える」という言葉を後生大事に守りつつ進んでいかないかぎり、いつイバラの藪やおとし穴にはまってしまうかわからない。

　功績を誇り、教養をひけらかして得意になっている連中は、うわべの飾りもののおかげで人目をひいているにすぎない。
　たとえ何の功績がないひとであっても、本心の輝きを失わないかぎり、真に立派な人物なのだという道理を、かれらはとうてい理解できないだろう。

　忙しいなかにあっても、悠々たる心境を保ちたいならば、まず、ひまなときから、ゆるがぬ自己を確立するよう心がけよ。さわがしいなかにあっても、静寂な気分を保ちたいならば、まず、静かなときから、しっかりした主体性をつくり上げておくことだ。
　そのようにしておかなければ、環境が変わり、事態がうつるにしたがって、自分の心もふりまわされ、まったく主体性を失う結果となるであろう。

　自分の心を見失うな。人の好意にすがりきるな。限度をこして物を酷使するな。
　この三つの心得を守ることによって、天地の神の心にかない、人民の生命を守り、子孫を幸福にすることができる。

　役人にとって大切な言葉を二つあげよう。「公平を守れば正しい判断ができる」「潔白を守れば権威が生まれる」。
　家庭生活のなかで大切な言葉を二つあげよう。「寛大な心を保てばみなの気持ちが和やかとなる」「つつましく暮らせば不自由はない」。

　世間をわたるのに、あまりにも潔癖すぎる態度はよろしくない。いろいろな汚いものをも､腹のなかに納めてしまう度量が大切だ。
　人とつきあうのに、白か黒かでレッテルを貼ってはならない。善悪賢愚、さまざまな人々を、平等に受け入れるのが望ましい。

　欲望のはげしい人物は、まだなんとかなる。だが、理屈でこりかたまった人物はどうにもならない。
　外的な条件が悪いのは対策を立てることもできる。だが、道義心が腐ってしまってはどうすることもできない。

　修行をするならば、鉄をきたえぬくようにじっくりとしよう。にわか仕立てでは底が浅い。物事を実行するときは、重い石弓を放つように慎重にしよう。あわてて始めても大きな成果は得られない。

　厚い恩恵を受けておきながら、これに報いようとせず、たいした怨みでもないのに、すぐに仕返しをする。悪い噂ならば信憑性がなくとも信用し、善い行為ならば、誰もが認めていても信じない・・・。
　こうした態度こそ冷酷無情の極みである。決してこんな風にふるまってはならない。

　山の頂には木も生えぬが、谷間には草木が生い茂る。はげしい流れには魚も住まぬが、よどんだ渕には魚も亀も群れ集う。
　ひとりよがりな行動や、あせった考え方には誰もついてこない。君子として絶えず反省せねばならぬところだ。

　功績を立て､事業をなしとげるのは、たいてい包容力があって円満な人だ。事業をつまずかせ､チャンスを失うのは、きっと片意地で強情な人だ。

　世間をわたるについては、周囲の俗っぽい人々とまるで同じになってはならないが、さりとて、かれらから孤立してはならない。
　事業をしようとするならば、人々から嫌われるようでは困るが、さりとて、人々に迎合して喜ばせることばかり考えてはならない。

　思い通りにならぬからといって､くよくよするな。万事うまく運ぶからといって、いい気になるな。永く続く平安に心を許すな。最初にぶつかった困難にくじけるな。

　世間の人々は、欲望のおもむくところに楽しみを求めるから、かえって苦労が多くなる。だが、悟った人物は、欲望にうちかつ境地にこそ楽しみを求めるから、苦労を通じて真の楽しみを得ることができるのだ。

　愛情ゆたかな人は、その心もひろやかである。したがってその幸運はいつまでも続き、何事を行うにも､寛容な精神を貫いてゆく。
　心の卑しい人は、その考え方もこせこせしている。したがって幸運に恵まれることも少なく、何事を行ってもせっかちな気分が流れてしまう。

　悪い噂を耳にしても､軽率に信じてその人を憎んではならぬ。中傷家がふりまいた噂かもしれないのだから。
　よい噂を聞いたからといって､簡単に信じて､その人と親しんではならぬ。ペテン師がおためごかしに細工をしたのかも知れないのだから。

　せっかちで粗雑であれば、何をやってもものにはならない。その反対に、おだやかで平静な心を保てば、さまざまな幸運が自然と集まってくる。

　吹きつける風、はげしい雨、そんなときには大地にしっかりと足をすえよう。
　花は紅､柳はみどり、そんなときには、目を奪われることなく､大きな目標に向かって邁進せよ。
　行けそうにない危険な山道が行く手をふさいでいる、そんなときには迷わず引き返そう。

　理想主義者は協調の心を持つことによって無用の争いから救われる。
　成功した人は謙遜の心を養うことによって嫉妬を受けずにすむことができる。

　ものごとが、思うようにならぬときには、自分より下の人を見よ。そうすれば逆境をうらむ気持ちが消えるだろう。
　自分の心が、なんとなく投げやりになったときには、自分より上の人を見よ。そうすれば気持ちがふるい立つだろう。

　書物を読むなら、その真髄にふれて踊りだしたくなるまでに読め。そうしてこそ枝葉末節にとらわれない。
　物事を観察するなら､その本質を見とおして､わが精神がそれと一体となるまで観よ。そうしてこそ表面の現象に惑わされない。

　賢い人は､人々を正しく導くのが天職であるのに､自分の長所をふりまわして、人々の弱点を突っつくことが多い。
　富んだ人は、人々の困苦を救うのが天職であるのに、自分の富をかさにきて、人々をおさえつけることが多い。
　こうした連中こそ、天罰を受けるべきではないか。

　すべてを悟りきった人は、心中になんのわだかまりもない。また全く無知な人は、心中に余計な知識が少しもない。こうした人々とは共に学ぶのも、また協力して事業にとりくむのも結構だ。
　ところが中途半端な知識人というものは、一通りの理屈をかじっているだけに、無用な不信感や疑惑ばかりで多くて、何につけても一緒にやるには苦労させられる。

　口は心の門だ。ここをきちんと守っておかないと、心中の秘密が簡単に洩れてしまう。意欲は心の足だ。意欲を正しくコントロールできないと、とんでもない邪道にふみこんでしまう。

　あでやかな桃やすももの美しさも、松やひのきの常緑のみごとさには及ばない。
　甘い梨やあんずの味わいも、だいだいや蜜柑のさわやかな香りには及ばない。
　すべて、派手ではかないものは、地味でも生命の長いものには及ばず､早熟なものは、じっくりと成熟するものには及ばないものである。

　静かにおさまった風と波、そのなかにこそ人生がある。淡泊な食物の味、時たまの静かな物音、その中にいてこそ、わが本心に立ち返る。（−以上前集−）

　山中のわび住まいの楽しさをしきりと吹聴するようでは、まだ、そうした暮らしの喜びを本当に知っているとはいえない。
　名誉に関する話題をことさらに嫌うようでは、まだ名声を求める気持ちを忘れ去ってはいないのだ。

　春の山には鶯が啼き、花がひらいて、本当にあでやかな風情となる。しかしこれは天地が粧いをこらした姿だ。
　晩秋ともなれば水はかれ、木々の葉は落ち、岩も崖もむき出しの姿をあらわす。ここにこそ天地の真の姿があるのだ。

　夜ふけてきく鐘の音に、わが世は夢のまた夢と知り、渕に映る月かげに、天地にひろがるわが命を思う。

　鳥の声、虫の音も、真理を告げる無言の教え。花の姿､草の色も、道を悟らせる文字無き文章。すべて道を学ぶからには、心のうちを澄みわたらせ、何事をも悟りをひらく端緒とする心がけが大切だ。

　永い短いは気の持ち方できまり、広い狭いは心がけ次第で決まる。
　おちついた気分の持ち主には一日が千年の長さとなり、ゆったりした心の持ち主にはせまくるしい部屋も天地の広さとなる。

　目の前にあるすべてのことは、満足のできる者にとっては理想の世界となり、満足を知らぬ者にとっては俗世間となる。
　世の中を動かすすべての法則は、これを善用する者のためにはものを生かす働きをするが、悪用する者のためにはものを殺す働きをする。

　先を争えば小道はますますせまくなる。人に一歩をゆずれば、それだけ道が広くなる。
　しつこい味わいには早くあきがくる。少しでも淡泊にできれば、それだけ楽しみが長く続く。

　一歩踏み出すときには、いつも一歩退くことを考えよ。そうすれば垣根に角をひっかけた羊の真似をせずにすむ。
　ものごとを始めるときには、いつも手を引くことを考えよ。そうすれば、虎の背中に乗って降りられなくなることはない。

　谷から湧き出た白雲は、去るも留まるも思いのまま、何事にもとらわれることがない。空にかかった明月は、地上のさわがしさにも、わずらわされることはない。

　禅宗には、「腹がへったら飯を食い、疲れてきたら寝てしまう」という言葉がある。また詩を作る心得として、「目の前の眺めをふだんの言葉で」という教えがある。
　思うに、最も平凡ななかから、最高の境地が生まれ、最もやさしそうなことが、実はいちばんむずかしいのだ。
　だから作為を捨てきれなければ、容易にものの真髄にふれることができず、とらわれぬ心がかえって知らずしらずに最高の境地に達することがあるのだ。

　俗世間を離れる道は､この社会でくらしていくなかにある。人とのつきあいを絶って、社会から逃避しなければならないわけではない。
　悟りをひらくための努力は、自分の心の働きを十分に生かすなかにある。しいて欲望を殺し、心を冷えきらせることではない。

　心に迷いが多ければ、弓の影も蛇に見えるし、横たわる岩をも虎かと見まごう。心中に殺気ばかりが満ちているからだ。
　心の安らぎを得れば、乱暴者もカモメのようにおとなしくなるし、蛙の声も楽器の演奏のように楽しむことができる。こうして何物も天地の道理そのままに受け入れることができるのだ。

　髪はうすくなり、歯は脱けていくが、ほろびていくのは仮の身だ。鳥がうたい、花が咲くのを見れば、そこにはわたしの生命が永遠に生きている。

　『易経』を読む夜明けの窓、松の葉の露を硯に受け、静かに朱墨を磨る心。
　経文を論ずる昼の机、竹薮を風に乗って、ひろがってゆく磬（けい）の音色。

　世の人は自我というものにとらわれすぎるから、ものごとの好き嫌いが甚だしく、さまざまな悩みが尽きないのだ。
「自分というものの存在を忘れてしまえば、一切のものの差別も気にならない」。また、「我は我であって我でない。ただ、かりそめの姿と悟ってしまえば、なんの悩みがあろうか」と昔の人もいっている。
　まことにそのとおりではないか。

　人の心や世の有様はあっという間に変ってしまい、そこには永遠の真実など見うけられない。康節先生もいっている。「昔はわがことと思っていたことが、今では他人のこととされている。いま、自分のものと思っているものも、将来は誰のものになるか知れたものではない」。
　人はいつもこうした立場に立っていれば、ものごとにとらわれる心から自由になっていることができるだろう。

　楽しい生活の次には、つらい生活が待ちうけている。いい気持ちになったかと思えば、いやな目にあって差引損も得もない。
　ふだんに変らぬ食事を楽しみ､家のまわりの眺めに満足していれば、これがいちばん安楽な境地だ。

　林にひびく松風や、岩の間を流れる清水の音に、心静かに耳を傾ければ、これこそ自然のかなでる最高の音楽と聞こえる。
　草原のはてを流れる霞や、水に映る雲の影を、心のどかに眺めれば、これこそ自然が生んだ最高の文章と思われる。

　西晋の国が亡びて、その遺跡に茨が生い茂っているのを目のあたりに見ながら、なおも武力をひけらかすのをやめようとしない。やがてわが身は北ボウの墓に捨てられて獣たちの餌食となるのを知りながら、なおも金銀財宝を惜しみつづけている。
　こういう言葉があるではないか。「猛獣を退治するのはやさしいが、人の心の欲望は退治しきれない。深い谷間をうずめることはできるが、人の心の欲望は満たしきれるものではない」。まったくそのとおりである。

　心のなかに波風が立たなければ、どこにいようとも山は青く、木々は緑のすがすがしい境地。
　万物を愛する心がそなわっていれば、なにごとにであっても魚が水に踊り、鳶が天に舞う自由な心境。

　水を得て泳ぎまわる魚は、水がそこにあることをさえ忘れている。風に向かって飛ぶ鳥は、風がそこにあることをさえ知らない。
　このような境地に到達すれば、外物によって心をわずらわすこともなく、天地自然の道理を楽しむことができるだろう。

　筏に乗ったときには、早くも筏から降りることを考える。筏は川を渡るための手段に過ぎないのだから。これがわかっていれば､なるほど道を心得た人ということができよう。
　ロバの背にまたがりながら､自分のロバはどこへいったかと探しまわる。自分がおかれている立場を理解していないから。これではいくら修行を積んでも､とうてい悟りを開くことはできまい。

　物欲にしばられてこの世を送れば、人生は悲しいことばかりだ。だが、人間の本性にめざめて生きていけば、人生ほど楽しいものはない。
　物欲にしばられた人生の悲しみを悟れば、おのずから清らかな心境を得ることができるだろう。

　仏法にいう「まことの空」とは、単なる虚無をいうのではない。現象にとらわれば真理を見失わない、現象を無視しても真理はつかめない。
　釈迦はこの問題をどう説かれたか。
「身を世間に置いて、心は世間を離れよ、欲にふりまわされれば苦、欲を絶とうとするも苦、一人一人の修行で悟るほかはない」。

　世間の味を知りつくしてしまえば、あるときは雨、あるときは雲の人情の変化も気にならず、目を開いてこれを見るのさえおっくうになってしまう。
　人の心理を理解しつくしてしまうと、牛といわれても馬といわれても、腹も立たず、だまってうなづくような気持ちになってしまう。

　近ごろの人々は、むりに無心の境地に入ろうとして、かえって雑念をなくすことができないでいる。
　過去のことを気にとめず、将来のことにも心を悩まさず、ただ、その日その日を平穏に過ごしていく心境に到達できたならば、あとはしだいに無心の境地に入っていくことができるだろう。

　思いがけなく悟ったときにこそ、真実の境地がひらけ、人工を加えぬものにこそ、自然の境地が宿っている。もし、少しでも作為を加えれば、それによってせっかくの妙味が失われてしまう。
　「何事もなさぬところに心の自由があり、おのずから吹いてくる風が最もすがすがしい」と白楽天も言っている。よい言葉ではないか。

　心が澄みきっている場合、腹がへれば飯をくい、喉がかわけば水を飲むという平凡なくらしをしながらも、身も心も健やかで自由にしていられる。
　心に迷いが多い場合、いくら禅の教理を論じ、偈（げ）をとなえてみたところで、単なる気ばらしにしかならない。

　金は鉱石のなかから得られ、宝玉は原石から生まれる。真理はやはり現実の生活のなかからしか得られないのだ。
　酒を飲みながらでも道を悟ることがあるし、花見で雑踏するなかでも仙人に会うことがある。風流の趣きも、俗世を離れきっては得ることができない。

　束縛も自由も、自分の心ひとつだ。心に自由があれば肉屋にいようが酒屋にいようが、そのままそこが浄土になる。
　そうでないときには、琴をかなで、鶴を友とし、花を眺めて清らかな趣味にひたっていようとも、心の悪魔を追いはらうことはできない。こういう言葉がある。「ひとたび悟りを開けば俗世間にいても真理の世界に身を置くことができる。まだ迷っているうちは、たとえ僧侶になったとて、心は俗人と変らない」。そのとおりではないか。

　ひっそりと静まりかえったなかに、一声、鳥の鳴き声を聴けば、無限の味わいを感じるであろう。枯れはてた花園に、一輪の美しい花を見いだせば、その生命力につよい感動をおぼえるであろう。
　人の心は決して枯れ尽きるものではない。外界の刺激を受けては生き生きとした働きをとり戻すことがわかるではないか。

　「身も心も、すべて自由にときはなち、天地自然のままにまかせよ」と白楽天はいっている。一方「身も心も、きびしく抑制して、静寂の極に悟りをひらけ」と晁補之はいっている。
　だが、自由だけを強調すれば放縦におちいり、抑制だけを強調すれば生気を失う。みずからの主体を確立して、あるときはゆるめ、あるときはひきしめる、これが自由自在にできれば、本当に身心をあやつるということなのだ。

　雪景色を照らす月の光を眺めれば、心は底まで澄みわたる。のどかな春風に吹かれれば、心はほのぼのとなごんでくる。
　自然の姿と人の心は、一つにとけ合ってへだてがない。

　みずからの主体性によって外界の事物に対処していくならば、なにを手に入れても喜びもしないし、なにを失ってもなげくこともない。この世界のどこに身を置いても、悠々としていることができるのだ。
　主体性を見失って、外界の事物にふりまわされているならば、思うにまかせぬことがあれば怒る、願いがかなえばそれに執着し、どんな細かいことにも身心を束縛されて、一片の自由もなくなるものだ。

　道理にこだわりさえしなければ、現実に悩まされることはない。現実を忘れようとつとめても、道理にこだわっているかぎり、実体をそのままにして影を消そうとするのと変わりなく、迷いをなくすことはできない。
　執着がなくなれば、心境は自然と安らかになる.執着の心をそのままにして、心境を安らかにしようとつとめても、生肉をあつめておいて羽虫がくるのを追うのと同様で、まったく無駄な努力にすぎない。

　自分がこの世に生まれてくる前には、果たしてどのような姿をしていたであろうか。自分がこの世を去ってしまった後には、果たしてどうような姿になるのであろうか。
　ひとたび、この問題を考えて見れば、いっさいの執着は消え去って、ただ本心のみが澄みわたる。こうして心は現実の世界を超越し、絶対の自由を得るのだ。

　そよぐ風や満開の花のすがすがしさ、つもる雪や照る月の清らかさ、静かな心の持ち主だけが、その風情をたのしむ。
　水の流れ､石のたたずまい、草木の姿、それらが四季折々に移り変わるおもしろさ、ゆとりのある心の持ち主だけが、その味わいを知っている。

　心中が本来、無心であればわが心を見きわめるという必要もない。釈迦のいうような心を見つめる修行は、かえって心中の迷いをますだけとなろう。
　世界の万物は本来一つなのだから、その斉一性を見出そうとする必要はない。荘子のいうような斉一性を求める努力は、かえってそれを傷つける結果をもたらすだろう。

　静かな境地を愛し、さわがしさを嫌えば、とかく人のいないところを求めて静けさを得ようとする。人から離れようとするのは自己にとらわれた心の現われであり、静けさに執着しようというのは心の平衡を失う原因であることに気づかないでいるのだ。
　これではとうてい「人もわれもすべて同じ、動も静もともに忘れる」という境地に到達することはできないであろう。

　人生の幸福も不幸も、すべて人の心の持ち方から生じてくる。釈迦も説いているではないか。「欲望が烈しければこの世は火の燃える穴、執着が強ければ人生は苦しみの海。清らかな心となれば炎のなかも池の水のように涼しく、道にめざめれば舟が岸についたように苦しみから脱け出すことができる」と。
　心の持ち方をいくらかでも変えることによって、この世界ががらりと変ってしまうのだ。よくよく考えなければならない。

　草木が枯れはじめるころ、根元には新しい芽生えがでてくる。凍りつく寒さの果てに、春の訪れがやってくる。すべてのものが枯れつくしたかと思うと、世界が生き生きとした生命で満たされる。
　これが自然の心の現われだ。

　月や風、花や柳といった景物がなくては自然の美はなりたたない。喜怒哀楽も、好き嫌いもないというのでは、人間の自然の心とはいえない。
　何よりも大切なことは、自己の立場をしっかりと確立し、外物に支配されず、天地万物を支配してゆくことだ。これさえできれば、人間のありのままの感情や欲望をのびのびと発展させて、しかも天地の真理と一体となることができるだろう。

　自己をきわめつくして悟りをひらいた人は、万物をあるがままの姿で生々と発展させてゆく。万民の心にまかせて天下を治める人は、苦悩の世界をそのまま楽土にかえる。

　子どもの誕生日が母親の生命の危機となり、財産がたまってくれば盗賊にねらわれる。どんな幸福も不幸の種とならぬことはない。貧乏な人は節約につとめ、多病な人はわが身を大切にする。どんな不幸も幸福の種子とならぬことはない。
　それだから悟りきった人は、幸福も不幸も結局は同じことと見なし、悩みも喜びも、ともに忘れてしまうのだ。

　名誉や利害に束縛された人にとっては、この世はとかく汚れた苦海とうつる。
　だが見よ、雲は白く、山は青く、川は流れ、岩はそそり立ち、花は開き、鳥は鳴き、木こりの歌に谷はこだまで答えているではないか。
　この世は決して苦海などではない。それを苦海にしているのは、彼ら自身の心なのだ。

　人の一生は、あやつり人形の舞台と同様だ。大切なことは、あやつる糸を自分の手にしっかりと握っておくことである。
　糸を巻くのも､伸ばすのも、わが身を前進させるのも、止めるのも、すべて自分の意志で行ない、少しも他人の指図を受けないで一生を過ごすことができたならば、身はあやつり人形でも、心は舞台を超越できるにちがいない。

　一つの出来事には、必ずその弊害がともなう。この社会では何事もないのが最大の幸福なのだ。昔の人の詩にもあるではないか。「立身出世の話はやめてくれ。たった一人の功名が万人の死骸の上に築かれる」。また、「たとえわが身が名刀でも、天下太平が続くのなら、箱にしまわれて一千年放っておかれても怨まない」。
　豪傑たちの功名心も、この詩のことばを聞くときには、すっかりしぼんでしまうだろう。

　自然の寒暑は避けることができるが、人の心のはげしい変化は避けるのがむずかしい。人の心のはげしい変化はなんとか避けても、自分の心の動揺を除くのは最も困難である。
　もし、自分の心の動揺を除き去ることができたならば、全身全霊になごやかさが満ちあふれ、至るところに春風がそよぐ心持ちとなるであろう。

　仏教にいう「縁にまかせる」こと、儒教にいう「本来の地位に満足する」こと、これらのことばは、世間の海を渡るのに欠かすことのできない浮き袋だ。
　人生は果てもなく、もし一つのことについてでも完全な満足を求めようとするならば、ありとあらゆる欲望がいっせいにもえ立つであろう。
　だが、その時々の境遇に安んじているかぎり、どんな状況におかれても、心を乱すことはあるまい。